■ Novel - 名も無き冒険者たち - |
第一話 試練 王都プロンテラ。 ルーンミッドガルド王国の中心部に位置する、最も賑やかなりし街。全土を治める王城を始め、武器屋、道具屋、大聖堂、剣士ギルド、数々の露店が軒を連ねる。 陸と海から運び込まれる物資で常に満たされ、押し寄せる人の波は途切れることがない。 温暖な気候に恵まれ、一年を通じて住みやすい。街を囲う高い城壁のおかげで、中にまで凶暴化した野獣が入り込むことは稀であった。 城壁の外をモンスターが徘徊していることを除けば、至極平和。それも、現王の治世の賜物である。 明るく笑う街の人や、活気ある市場の取り引きを眺めていると、この平和が偽りのものであることを忘れそうになる……。いや、街の住人の大部分は、平和を信じて疑っていなかった。 近年変わったことと言えば、冒険者の姿をよく見かけるようになったことだろう。 彼らの中には、地方の出身も少なくない。王都を一目見ようと、危険な旅に出る者もいる。そこで彼らは志を同じくする者と出会い、新たな目的をみつける。この街はそうした一面をも備えていた。 「汝、神に仕えたいと申すか?」 「はい」 街の北東、城壁に面した一角に、十字抱く壮麗なる建築物がある。 住人たちの心の拠り所である、大聖堂だ。 「心得ておろうな? 聖職者とは如何なるものか。汝に、その資格ありや?」 教壇に置かれた聖書に左手を添え、彼は言葉を接ぐ。真後ろの壁面には、聖書の一場面、神と魔の対峙を描いた絵画が飾られ、静かなる圧迫感を与えていた。 初老の神父の前に跪き、頭を垂れているのは、まだ十代半ばと思しき一人の少女。 床に零れるほどの長い銀色の髪、雪の如く白い肌、身に付けている上等の絹の衣服は貴族の娘を思わせる。 水色の両の目を細め、口を固く結び、少女は顔をゆっくりと上げた。 「よかろう。汝に試練を言い渡す。ここより北東の森の何処かに、我が同胞、ゴンザロルバルカバラがおる。試練とは、彼に会い、無事に帰ってくること。ただし、一人で行って参れ。困難に遭おうとも汝が意志の強きを示せ。さすればその誓い、真と認めん」 神父は、朗々たる声をもって言い放つ。 少女の整った風貌に一瞬戸惑いの色が浮かび、やがて思い詰めたものに変わった。 それもそのはず、おそらく彼女には街の外を歩いた経験が無い。街の北側に並ぶ富裕な邸宅の一角で、一日、召使いたちにかしずかれて暮らす。そんな生活が相応しく思えるのだ。 「再びまみえるときを待っておるぞ」 見送る言葉に、声は発しなかったがその替わり深々と一礼。 彼女は真摯な眼差しで神父に一瞥くれ、聖堂を去っていった。 その翌日のこと。 朝から快晴、暖かい春の陽気に包まれた気持ちいい日だった。 ここは、プロンテラの北東に広がる広大な森林。 蝶や虫、可愛らしい野うさぎらが大量に生息、狩人にとっては最高の狩場だ。 一方で、時には野生の狸や猿が獰猛な本性を覗かせる。決して安全とは言えない場所。少なくともプロンテラ生まれの子供なら、森を一人歩きしてはならないとよく言い聞かされるものだ。 ところが。 「……はぁ」 銀色の髪をした女の子が、切り株に腰を降ろしていた。 物憂げに頬杖を突き、口から漏れるのは溜め息ばかり。二の腕と頬には血が滲み、顔には疲労の色が濃かった。 名を、ニース。 アコライトの卵。 大聖堂を訪れ、アコライトになる決意を明かしたのがつい昨日。 それで言われるまま、意気込んで城門の外へ出たものの、早くも途方に暮れているのである。 「こんな広い森を、一人でどうやって探せって言うのかしら。神父様は、この森のどこかとしか教えて下さらなかったし……」 地図も食料も持たず、満足な装備もない。 ほとんど手ぶらでピクニックと大差ない。彼女は、森に入ってからの苦労をあまり考えていなかった。その代償が、あちこちに負う羽目になった擦り傷である。 半日もあればみつかると考えていたのが甘かった。 朝から迷い込んで、もう昼過ぎ。持ってきたりんごやバナナも食べてしまい、正直そろそろ帰りたくなっていた。 もっとも彼女は、どうやって帰ればいいのかわからないことにすら、まだ気づいていない……。 要するに迷子だった。 「ねー? あなた、わたし以外の人、誰か見なかった?」 ぽよん。 ぽよんぽよんぽよん……。 「……」 ニースが話しかけたそれは、ぽよぽよと跳ねて茂みの中に消えた。 ポリン。 半透明のゼリー状の体に、おまけ程度についた丸くてつぶらな目と口。 涙滴型をしており、どういう原理によるのか、地面を飛び跳ねて移動する。 また、落ちているものを何でも体の内部に取り込むといった、変わった習性を持つことでも知られている。 こちらから彼を怒らせるようなことをしない限り、人間を襲うことはない。極めて温厚で、何より特徴は愛らしい外見。街では、ポリンを象った人形が売られているくらいだ。 これでも、れっきとしたモンスターの一種である。 「ついていけばいいのかな」 もちろん、ニースは本物のポリンを見るのは初めて。 彼が、世界を騒がせているモンスターであるという認識もない。 「えーと……。こっちだっけ?」 相手が人語を解する解さないもお構いなし。 ふらふらと、ポリンが消えたと思しき茂みに、後を追って踏み込んでいったのだ。 『ウキャ!?』 「あっ」 不意に、足元から動物の悲鳴がした。 甲高い声。 明らかにポリンのものではない。 「ご、ごめんなさいっ!」 そっと足をどければ、長い尻尾。 声の主は言わずもがな、猿である。 ヨーヨーと呼ばれる彼らは集団で森の奥地に住み、木と木の間を自在に行き来して暮らしている。 縄張り意識が強く、侵入者には容赦ない。森の中では注意しなくてはならない存在だ。 『ウキ! キーキッ!!』 尻尾を踏みつけられたヨーヨーは、怒ってニースの周りをぴょんぴょん。 口から牙をちらつかせて威嚇し、鋭い唸り声を上げた。 「許してもらえ……ないみたい」 唸り声は、仲間たちへの攻撃合図。 呼応して光る、無数の獣の目。 すっかり、取り囲まれていた。 四方を、樹上から足元から、いつの間にか現れたヨーヨーの集団が、今まさに飛びかからんとしているのだった――。 |