■ Novel - 名も無き冒険者たち -



第三話 地下水路の激闘


「――その慈悲深き心もて、彼の者に癒しを与え給え。ヒール!!」
 かざされた手の平から発せられる淡い光。
 神聖なる目映い光は、血の滴るマオの右腕を優しく包み込んでいく。
「どうですか?」
「まあまあだな」
 伏し目がちに尋ねるニースに、マオは軽く手を振って答えた。
 出血は既に止まり、マオの表情からも痛みが消えていることは明らか。実際、血を拭き取ると傷口は跡形もなくなっていたのである。
「……」
「あ、いや、初めてにしては上出来だろ。うん」
「……本当に?」
「ああ。ほら、この通り」
 相方の哀しそうな視線に気づき、マオは慌てて取り繕う。
 必要以上に腕を大きく振り回し、記念すべき初ヒールの効果の程をアピール。それを見て、ニースもほっと胸を撫で下ろした。
「良かったです〜。少しはお役に立てて」
 なにせ、アコライトになって初めて覚えた能力。
 真価を発揮する機会がやっと巡ってきて、不安半分期待半分、恐る恐る試してみたのだ。
「自分で手当てするよか、よっぽど楽だもんな。この調子で頼む」
「はいっ」
 まだまだ、ぎこちなくて初々しいやりとりの数々。
 それもそのはず、二人が寝食を共にするようになって、一週間しか経っていなかった――。


 心地よい水音と、遠くから聞こえるポンプの機械音。
 辺りは薄暗く、頼りになるのは所々にある松明の明かりのみ。
 外よりも肌寒く、床は湿っていて滑りやすい。一言で言えば、お化け屋敷のような、不気味なところだった。
 そこは、王都プロンテラの地下深く。
 誰もがお世話になっているのに、誰も知らない場所。
 そういう場所があるとは理解していても、街の住人が訪れることはない。そもそも、人が立ち入る必要は、つい最近までなかった。
「さて」
 更なる下層へと続く階段を前に、マオは相方の方に向き直る。
「この下が、問題の場所なわけだが」
「う〜……」
 ニースは護身用の棍棒を握りしめて唸る。その表情は、今にも泣き出しそうなものだった。
「怖いのか?」
「当たり前ですっ! あんなに大きなゴキブリ、生まれて初めて見ました……」
「あー。オレも初めてだ。人間のガキよりかデカいもんな、あれ」
「いったい、何を食べてるのでしょうか……?」
「さあな」
 二人がいるのは、プロンテラの街の地下に広がる水道施設。
 街の生命線とも言える重要な施設で、ここから各家庭へと給水されている。
 しかし。
 先日から、水の出が悪くなったり、味や臭いがおかしいとの苦情が市民から殺到したのである。
 市が原因を調査した結果、水源に問題があることがわかった。
 その問題というのが――モンスターの大量発生。
 巨大化したキノコやカエルはおろか、果ては最も人が忌み嫌うべきゴキブリの生息まで多数確認された。衛生面に多大な不都合があることは言うまでもない。
「わたしたち、こんな水飲んでたんですね……」
「……言うな」
 当然、そんなことは公表できるわけもなく、そこで冒険者の出番となったのである。
 おかげで、地下に潜ること数時間。
 外の新鮮な空気と、柔らかい陽光が恋しくてたまらない。
 ゲコゲコ、ゲーコ……。
 ボヨンボヨンボヨン……。
 ギギィ、ギギー……。
 カエルの鳴き声に、キノコが跳ねる音、ゴキブリが這い回る音。どれも聞き飽きて久しい。
「やれやれ」
「はぁ」
 手身近な冒険を求めた結果が、これ。
 たまたま街で募集を見て、案内されるままにやってきた地下水路。
 何故か係の衛士は妙に親切で、薬やら食べ物までタダでくれた。その上、一ヶ月分の生活費に相当する破格の成功報酬付き。
 ……美味しい話には、つくづく裏があるものだ。
「あんまり長居したいとこじゃねぇし、さっさと終わらせよう」
「はーい……」
 勇んで討伐隊に志願したことを、二人は後悔し始めていた……。

 ギッ!
 ギギャ!
「はっ!」
 マオは両手で剣を握りしめ、金色の化け物目掛けて振り下ろす。
 ガキ!!
「うぐっ!?」
 甲高い金属音と共に、叩き付けた剣先がたやすく弾き返された。
 予想以上の反動にマオは危うく剣を取り落としそうになる始末。硬い外殻に阻まれ、さしたる被害を与えることはできなかった。
「くそっ! こいつ、並の攻撃じゃビクともしねぇ!」
 まさに二人が対峙しているのが、地下水路で起こった騒動の元凶。
 金色のゴキブリ。
 どんな突然変異によるものか、体全身が金色に輝いているゴキブリである。
 特筆すべきはその尋常ではない硬さと、恐るべき移動速度。壁の向こうに光る何かをみつけた矢先、それは侵入者へと襲いかかってきた。
「ニース!」
「待ってください! 今、援護します」
 一撃与えては、離脱。
 地下水路の主は、凄まじい加速をつけて獲物に体当たりを続けた。
 鋭い触覚はまるで刃物の如く、マオの体を深く傷つけていく。激突の度に血飛沫が飛び、彼の表情は険しくなる一方だった。
「早く!」
「わかってます!」
 壁にもたれ、辛うじて攻撃をかわしつつ、マオは叫ぶ。
 死すら脳裏をよぎる。彼のみならず、二人の死。刻一刻と、危険は増していく。
「偉大なる女神よ――」
 胸の前で両手を組み、双眸を閉ざし、心を落ち着かせる。
 必死に神へ祈り、助力を乞う。
「御力、今ぞ我らに貸し与え給え。ブレス!!」
 ニースの胸のロザリオが光を放ち、小さな星の欠片となってマオの頭上に降り注ぐ。
 神の祝福。
 それは、一時的にせよ、普段の倍もの力を発揮させる奇跡。
 追いつめられた現状を打開するための、とっておきの切り札。
 そしてマオも、己の気力と引き替えに渾身の力を込める必殺技、バッシュを見舞う。
 ブレスとバッシュ、二人の連携による最高最強の一撃だ。
「くらえっ。バッシュ!!」

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