■ Novel - 名も無き冒険者たち -



第四話 弓手現る


 深い森の中を一組の男女が歩いていた。
 二人は旅姿、男の方は大きな荷物を背負っていた。中にはおそらく、二人分の食料や着替えなどが入っているのだろう。
 もう一人の方はというと、男の後をついていくのに必死。時々木の根につまづきそうになっては、連れの失笑を買う。
 共に無言。表情にも精彩を欠いていた。
 大きく左右に張り出した枝を見上げては嘆息し、三叉路に差し掛かったところで揃って立ち止まった。
「――ここ、さっきも通りませんでした?」
「そんな気がするな」
「あ、やっぱり」
 たちまち二人は脱力して、そのまま地面に座り込んでしまった。
 なぜなら、何度も同じ場所をぐるぐる回っていることを、いい加減認めざるをえなくなったからだ。
 彼らこそ、先日プロンテラを離れ、別の街を目指す途中で道に迷ったニースとマオである。
「地図によると、こっちの方角であってるはずだが。うーむ」
「よく考えてみたら、マオさんも方向音痴なんですよね……。わたしと初めて会ったときだって」
「あ、あれはだな……。って、おかげで助かったんだろ?」
「はい。感謝してます」
「よろしい。ま、さっさと空間転移でも使えるようになってくれ。そうすればわざわざ歩いて移動せずに済む」
「はーい……」
 実のところ、空間転移を売り物にしている民間業者は存在する。
 主要な街と街を結び、距離に応じた価格設定で利用者を一瞬にして目的地へと運んでくれる便利なしろものだ。
 難点はその価格。とてもではないが、新米の俄か冒険者に払える額ではなかった。
「ニースって、いいとこのお嬢様なんじゃ? 家から金持ち出してないのか?」
「……人を家出少女みたいに言わないでください」
「まあ、例のゴキブリ退治の謝礼あるから、食い繋ぐ分には問題ないか」
 二人がプロンテラを出る気になったのも、ひいては懐に余裕ができたからである。
 見聞を広めるにも、修行をするにも、一つところに収まっているよりは、各地を放浪した方がいい。特にプロンテラの城門の内でしか暮らしたことのないニースにとって、外の世界は憧れでさえある。
 それで、砂漠を超えた向こうにある海を目指して旅に出ることになった。
 目指すは、商都として名高い港街、アルベルタ。
「食料もあと一日分。なんとかしなきゃな」
 干し肉を口に運び、マオは夕闇迫る天を仰いだ。

「右に、左。五匹、六匹……いや、十匹はいるな」
「そんなに?」
 額に脂汗を滲ませたマオと、彼にしがみついて小声で囁くニース。
 厳しい視線が注がれているのは、夜風にそよぐ草木。
 注意深く見れば、風が止んでも不自然に揺れているのがわかる。
「猿と違って、逃げ切るのは無理だろう」
「……」
 相対しているのは、ウルフの群れだ。
 暗がりには光る眼が無数に浮かび、低い唸り声が聞こえる。
 不運にも今宵は満月の晩だった。あちこちで獣の遠吠えが聞こえたかと思うと、彼らは狩りを開始した。迷い込んだ獲物を逃さぬよう、少しずつ包囲の輪を狭めて。
 肉食獣の持つ鋭い嗅覚は、二人の存在を見逃すことがなかった。
『グルルルル……』 
 牙を剥き、精悍とさえ言える顔つきのウルフたち。
 彼らの姿が、焚き火に照らされてオレンジ色に映える。
「――ままよ!」
 覚悟を決めたマオが、剣をかざして決死の特攻を試みんとした矢先!
『ギャイン!?』
 突如飛来した弓矢が、一匹のウルフの眉間に突き立った。
 思わぬ攻撃に、さしものウルフもたじろぐ。その間にも、マオとニースが驚く目の前で次々と矢が射掛けられていく。
 高速で飛来する矢はいずれも狙い過たず、群れを着実に屠っていった。
「加勢か! 恩に着る!」
 我に返ったマオが、混乱のさなかやっと一匹を斬って捨てる。
 そのときには既に、無傷の者は半分以下に減っていた。
『オゥーン』
 不利を悟った生き残りは、悔しげに遠吠えを残し、夜の闇へと溶け込んで消えた。
 後に残るは、生きた心地もしない二人と、血を流して絶命したウルフのみ。
 正直、今のマオの力量では、一度に二匹を相手にするのが限界。ニースの援護があろうと、十匹以上を相手にしては到底敵わなかった。
「よっと。二人とも大丈夫?」
 不意に降って湧いた少年の声。
 そして、矢をつがえた姿勢の狙撃手が樹上から降りてきた。
 黒髪短髪。マオよりはずっと若く、ニースとは同い年くらいの、男の子だった。
「あ……。助けて、くれたの?」
「お姉ちゃんたち、危なそうだったからね。満月の晩は危険だよ。特にヤツらはね」
 袖の短い草色の服に、背にくくりつけた矢筒。高い木の上から楽々飛び降りた身のこなしといい、ただ者ではない。
 彼は、弓手なのである。
 剣士との最大の違いは、その独特の攻撃スタイルにある。剣士が剣で直接斬り合うのとは対照的に、彼ら弓手はより遠くから、安全に敵を倒すことを得意とする。
 故に、相手が襲ってこられない場所からなら、いともたやすく、一方的な攻撃を加えることができるのだ。
「すまん。助かった」
「剣士のお兄さんの出番を邪魔しちゃって、むしろ悪かったかな?」
 マオも、やや憮然とした表情で、軽く頭を下げる。
 助けに入ったのが自分より遙か年下では、剣士としての沽券に関わる。そのことが、素直に感謝できない原因だった。
「こんなとこで何してたの? あ、まさか、このお兄さんに騙されて、森に連れ込まれたとか……。非道いことされてない?」
「ち、違いますっ!」
「…………」
 当然、冷えた眼差しを向けるマオ。
 手にはまだ、ウルフの首を叩き折った剣を握っている。
「……冗談だから。そんな怖い顔しないでよ。で、お姉ちゃんは、アコライトさんなんだよね」
「え? ええ、そうです。わたし、ニースっていいます。このマオさんと一緒に、アルベルタに向かう途中で」
「アルベルタ? ここからなら、フェイヨンの方が近いよ」
「フェイヨン……?」
 プロンテラからは、アルベルタもフェイヨンも同じ方角に当たる。
 途中の森の中にあるのがフェイヨンという村。特に目立った産業もない小さな村なので、特に理由がなければ立ち寄ることもないだろう。
 ただ、この森というのが複雑で、曲がりくねった道が木々の合間を縫っているため、余程旅慣れていなければすんなり抜けることはかなり難しい。
「なんだ。迷子なんだ。それならそうと早く言えばいいのに」
「あう……」
 彼のペースの前にニースは困惑しきり。恥ずかしいやら何やらで顔を赤くしていた。
「フェイヨンなら案内するけど、どーする?」
 食料の尽きかけている二人に選択肢はない。
「頼む」
 マオは淡々と、調子の良い少年に同意。
 怒るだけ疲れそうな気がした。マオとは性格的に、逆に近いといっていい。
「僕は、楓」
「カエデさん?」
「うん」
 少年の名前は、ニースには聞き慣れない響きを持つものだった。
 フェイヨンでは、よくある名前の一つなのであるけれど。
「それではカエデさん、よろしくお願いします」
 楓の道案内で、一行は無事、フェイヨン到着。
 この後、彼が三人目の仲間となるとは、ニースもマオも夢にも思わなかったのである。

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