■ Novel - 名も無き冒険者たち -



第二話 剣士マオ


 ザッ!
 眼前を、白刃の煌きが過ぎる。
『ギギギ!?』
 数瞬遅れて、獣の悲痛なる叫び。
 一斉に飛びかかったヨーヨーの爪が目標に達する直前、彼らは何かの力によって弾き飛ばされた。
 何が起こったのかわからないニースは、きょとんとした顔で立ち尽くす。
 危ないという意識はあっても、逃げなければならないことまで頭が回らない。 
「こっちだ。さあ!」
「きゃ!?」 
 怯んでいたヨーヨーの群れが攻撃を再開するのと、ニースが脇から腕を掴まれたのは同時。
 有無を言わさぬ強い力が、彼女を後ろに無理矢理引っ張る。おかげで、危機一髪ヨーヨーの爪から逃れることができた。
 驚いて振り向けば、真後ろに立つ青年が。ニースより頭一つは背が高く、手には血に濡れた抜き身の剣を携えていた。
「あ、あなた、誰……? わわっ!」
「喋ってると舌噛むぞ。黙って走れ」
「……」
 事ここに至ってようやく、ニースは自分が助けられたことに気付かされた。
 救いの手を差し伸べてくれたのは真面目そうな剣士。青い髪に引き締まった体、鉄の鎧姿の彼はなんとも頼もしく思えた。実際、彼がいなかったら今頃どうなっていたことか……。
 それからは無我夢中、ほとんど引きずられるようにして見知らぬ男の後を懸命に走った。
 なにせ歩幅が違うし、乱雑に下草が伸びた地面はただでさえ走りにくい。何度も転びそうになった。
『キー……。ギギッ、ギー……』
 次第に遠のいていくヨーヨーの怒声。
 幸いにして、二人は逃げ延びることに成功したのだった。
 
「大丈夫かい?」
「はぁはぁはぁ……」
 水辺に手をつき荒い息を吐くニースと、彼女を平然と見下ろす剣士。
 重い鎧を着込んでいるにも関わらず息が切れていないのは見事と言うしかない。基礎体力に劣るニースは、心臓の鼓動を押さえるのに必死で、声も出せない。
 目の前にある泉の水をすくって一飲み。
 泉の周りには数匹のポリンが群れていて、そんなニースの様子を怪訝そうに眺めていた。
「ありがとうございました。その、危ないところを助けていただいて……」
「いや、礼なんて別に。とにかく無事で何よりだった」
 感謝の言葉に、剣士は落ち着かない風でニースから少し離れた木の幹にもたれかかった。照れているというか、単にこういう状況に慣れていないのである。
 どういうわけか周りにはポリンたちが寄ってきて、ぽよぽよと飛び跳ねる音がうるさい。先ほどヨーヨーの集団に襲われたことを考えれば、まったくのどかで穏やかな森に戻っていた。
「無用心にも程がある。何故一人でこんな場所に? オレがいなかったら、キミは奴らの餌食になっていたところだぞ」
「ごめんなさい……」
「見たところ、どこかのお嬢様のようだが。誰かとはぐれたのか?」
「いえ。わたし、人を探しに来たんです」
「は?」
 アコライトになるべく大聖堂を訪れたことから、神父とのやりとり、試練の内容まで、ニースは昨日からのことを順を追って話した。
 途中咳き込みながらの説明を、剣士は黙って聞いた。
 ヨーヨーに襲われる原因となったくだりに関しては、彼も呆れ半分、苦笑を禁じえない。辺りのポリンたちでさえ笑っているように思えるのは気のせいだろうか……。
「ふーん。アコライトにねぇ」
「はい」
 こくりと、ニースは頷く。
「アコライトってあれだろ。仲間をヒールしたり、アンデッドを浄化したり」
「そうです」
「噂じゃ、かなり高位のアコライトなら空間転移さえ使いこなすって聞いたな。一度見てみたいもんだ」
「へぇ〜。わたしにも使えるようになるかな……」
 アコライト。
 主に治癒の魔法を用いて人を救うのが役目。
 神への信仰こそが最大の武器であり、神の加護によって様々な奇跡を起こすことができる。
 傷や病気を癒したり、不浄なる魔物を退けたり。それらの多くは見返りを求めることのない、無償の行い。それ故、清廉な精神の持ち主でなければとても務まらない。
 当然、なりたいと思ってなれる職業ではない。だからこそ、アコライトは周囲から尊敬を集める存在なのだ。
「で、どうしてなりたいんだ?」
「それは――」
 問われて、たちまち口ごもるニース。
 わざわざ危険を冒してまで試練に臨んでいる。動機がないわけがない。
 ただ……。
 命の恩人とはいえ、初対面の相手に打ち明けるには少々重苦しい話だった。彼女が今までの生活を捨て、アコライトとして生きる道を選んだ理由は。
「――ま、そんなことはどうでもいいか」
 場の空気を悟って、剣士は話題を打ち切る。
「オレはマオ。キミは?」
「ニースと言います」
 剣士マオ。
 これが、二人の出会いとなった。

 深夜、大聖堂。
「……その分では、相当苦労したようであるな」
 家々の窓から漏れる明かりの数も少なくなり、街は静けさに包まれていた。
 かく言う神父も遅い眠りに就こうとしていた折のことだった。
 けたたましく扉を叩く音に、出迎えてみれば薄汚れた少女が一人。石の床に跪いていた。明日にすればとのマオの言葉も耳に入らず、ニースは大聖堂に駆け込んだのだ。
 森で大変な目に遭ったことが一目瞭然。土埃にまみれ、あちこちに怪我をしていた。
「は、はいっ。こんな夜更けに押しかけてしまい、すみませんっ」
「そう硬くならずともよい。汝は立派に試練を果たした」
「え? おわかりになるのですか?」
「子細は、既に我が同胞より伝え聞いておる。よくぞ己に打ち勝った」
 マオの手助けもあって、目的のゴンザロルバルカバラ神父はなんとかみつかった。
 ああ試練を受けに来たんだねと、とりたてて話もなく、一路プロンテラへ。戻る頃にはすっかり日も暮れていた。
「近くへ」
 神父は微笑をたたえた顔を不意に引き締め、手招きする。
 ニースは教壇の前まで一歩一歩床を踏みしめ、軽く拝礼。
 神父の手から、銀の鎖に通された十字架が彼女の首にかけられる。
 アコライトの証たる、ロザリオ。
「汝、ニースを聖職者として認める。これからは励むがよい」
「はいっ!」
 この日。
 一人の少女が、アコライトへの道を歩み出した。
 その瞳に、光を宿して。

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